明治41年から43年にかけて建てられた木造二階建の擬洋風建物で、上毛モスリン株式会社の本館の事務所として使われて来ました。
上毛モスリン株式会社は明治中頃、館林周辺の技術的伝統である機業を活かして設立された会社で、近代産業のひとつとして町の発展に大きな影響を与えました。
この建物の特徴は洋風建築発達時の技法が取り入れられていることです。尺貫法を用いた入母屋造りで、内部構造は小屋組を基本とした和風の建物ですが、シンメトリー式(左右対称)の外観、張り出しの浅い屋根、上下開閉式の窓、柱・階段の手すり・天井などに見られる意匠等に洋風建築の要素がみられ、館林における当時の建物の発展の様子がうかがわれます。設計者、施行者は不明です。
昭和54年市役所庁舎の建築に伴い、この地に曳移転しました。

たやま かたい
田山花袋旧居
館林市指定史跡(昭和46年5月1日指定)
田山花袋が7歳から14歳までおよそ8年間を過ごした家です。土間があり、縁側があり、年輪が浮き出るような板があり・・・。色合い、材質感、形、そのすべてに長い長い時間がしみこんでるようです。
木造平屋建て、玄関の土間に続いて三畳、左手に八畳二間、右手に四畳、裏に三畳の板間と土間の合わせて5つの部屋があります。
明治4年旧館林藩士の子として館林に生まれた花袋は、14歳で上京。やがて小説家をめざし、明治40年『蒲団』の発表により日本の自然主義文学を確立しました。
ふるさと館林と花袋のつながりは深く、とくにこの家は、花袋が館林の思い出を書き綴った作品『ふる郷』(明治32年刊)に”なつかしきこの家”と記されており、花袋にとって思い出多い家であったことがうかがわれます。
またこの建物は江戸時代の小規模な武家屋敷のひとつでもあります。昭和56年、市内城町14番37号よりこの地に解体移築されました。