歴史の小径~歴史薫る散策路~

2016年3月17日

「歴史の小径」は、市民のみなさんからの提案が基になって整備された、歴史的構造物を繋ぐ散策路です。
館林は徳川四天王の一人、榊原康政や5代目将軍徳川綱吉公にゆかりのある城下町であり、まちなかには歴史的風情にあふれた建物や、貴重な文化財が今もなお点在しています。恵まれた自然と城下町の歴史を、是非その身で感じてみてはいかがでしょうか。

 

歴史の小径事業の概要

歴史の小径事業概要(263KB)

 

歴史的街並み景観創出補助金制度

歴史の小径道路改良事業で整備する道路に面した場所(下図「歴史の小径散策マップ」の範囲とは異なります)に、歴史的景観に配慮したデザインの工作物等を設置した場合に、経費の一部を補助します。

歴史的街並み景観創出補助金制度の詳細は、こちらをご覧ください。

 

「歴史の小径」散策マップ

歴史の小径散策マップ

歴史の小径パンフレット(976KB)

 

施設の説明

(1)館林駅

(2)竜の井

(3)毛塚記念館

(4)大道寺

(5)旧町屋地区の住宅

(6)青梅天満宮

(7)外池商店

(8)旧二業見番組合事務所

(9)青龍の井戸

(10)鷹匠町長屋門

(11)鷹匠町武家屋敷武鷹館

(12)土橋門

(13)第二資料館

(14)旧秋元別邸

 

(1)館林駅

館林駅

駅の開設は明治40年。当初は、蒸気機関車でしたが、複線化された昭和2年には電気機関車となり、交通運送の面で館林の近代化の一端を担ってきました。駅舎は昭和12年の増改築を経て、平成21年、橋上駅舎及び東西連絡通路が完成し、現在に至っています。旧駅舎は、平成10年に関東の駅百選にも選ばれました。

 

(2)竜の井

竜の井

城沼に棲む竜神の妻が、かつてここにあった寺を守るため、この井戸に姿を消したという伝説から「竜の井」と名付けられたと言われています。以前この一帯は善導寺の境内でしたが、昭和61年館林駅前広場の整備に伴って、楠町に移転したため、現在は本堂前にあったこの井戸と二本のイチョウだけが残っています。

 

(3)毛塚記念館

毛塚記念館

毛塚家は江戸時代末期、丸木屋(まるきや)という屋号で造り酒屋を営んでいました。昭和29年に分福酒造と改称しています(現在、工場は野辺町)。館林旧城下町に残る本格的な町屋の建物で、平成10年に国の登録有形文化財に指定されました。かつては敷地内にある井戸から取水し、お酒を作っていました。

 

(4)大道寺

大道寺

江戸時代は、同じ浄土宗の善導寺の寺務を行う役寺で、明治時代に善導寺より独立しました。境内には、国学者で元館林藩主だった生田萬(いくたよろず)の父祖の墓や田山花袋の算術の師であった戸泉鋼作(といずみこうさく)の墓などがあります。

 

(5)旧町屋地区の住宅

旧町屋地区住宅

江戸時代の町屋の住宅は、間口の大きさで税が決められていたため、節税対策として間口が狭く奥行きの長い敷地が大きくありました。このような住宅は「うなぎの寝床」と呼ばれていました。

 

(6)青海天満宮

青梅天満宮

時の左大臣藤原時平の陰謀によって、菅原道真は大宰府に左遷させられてしまいましたが、その際道真は「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠い、4つの梅の実を枝に刺し投げたところ日本各地に散らばり根付いたそうです。その4箇所とは花久里梅(島根県)、飛梅(福岡県)、四季梅(香川県)、青梅(群馬県)で、それぞれに天満宮の分霊を勧請し菅原道真を祀っています。

 

(7)外池商店

外池商店

屋号は和泉屋(いずみや)といい、江戸時代中期、近江の国(滋賀県)から移り込み、造り酒屋を営んでいましたが、明治33年には、味噌、醤油の製造業を行っていました。現在の建物は、昭和4年に建てられたもので、毛塚記念館と同様町屋の特徴を備えています。敷地内にある蔵は、百々歳蔵(ももせぐら)と名付けられ、以前はコンサートなど文化活動を行うことができるホールとしても利用されていました。

 

(8)旧二業見番組合事務所

旧二業見番組合事務所

二業とは芸者さんの置屋と料亭のことで、見番はそれらの取次ぎや料金の精算、取り締まりをしたところです。1階は事務所、2階は芸者さんの稽古場であった舞台付き36畳の大広間があります。現在は本町二丁目東区民会館として地域のかたに利用されています。この二業見番は、木造建築物として全国で数か所しか残っておらず、非常に文化的価値が高い建物です。平成28年に国の登録有形文化財に指定されました。

 

(9)青龍の井戸

青龍の井戸

江戸時代、この周辺には福寿院というお寺があり、その境内に井戸がありました。伝説では、第六代館林城主の徳川綱吉公の時代に、突然、清水が噴き上がり、中から女官姿の青龍権現が姿を現したことから「青龍の井戸」と呼ばれるようになりました。また、この井戸と「竜の井」「城沼」とが一つに繋がっていたという伝説があります。

 

(10)鷹匠町長屋門

鷹匠町長屋門

旧野辺町(三野谷)の豪農「松沢家」が利用していた長屋門を利用して、武家屋敷長屋門として、平成21年に新築したもの。長屋門は武家の屋敷門の一つで、長屋の間に門があることから長屋門といわれており、門の両側の部屋は使用人の部屋や物置として使われていました。

 

(11)鷹匠町武家屋敷武鷹館

鷹匠町武家屋敷武鷹館

江戸時代、この周辺は鷹狩用の鷹を飼育する鷹匠が住んでいたことから鷹匠町と呼ばれており、この鷹匠町にある武士の住宅ということで「武鷹館」と名付けられました(一般公募)。この武鷹館には、旧館林藩士住宅、長屋門、付属住宅が整備されており、特に館林藩士住宅は県内でも珍しく、平成11年に館林市指定重要文化財となっています。

 

(12)土橋門

土橋門

館林城の通用口として使用されていた門で、現在の門は昭和58年に復元されたものです。土橋門という名は、門の前に土橋が架かっていたためと言われています。門の中には蔀土居(しとみどい)が設けられ、外部から中を見えにくくする工夫がなされています。

 

(13)第二資料館

第二資料館

館林の歴史的建造物等を移築して整備したもので、敷地内には旧上毛モスリン事務所や田山花袋旧居があります。旧モスリン事務所は明治41~43年にかけて建てられた擬洋風建物で、上毛モスリン株式会社の事務所として使われていました。昭和53年に県の重要文化財に指定されています。田山花袋旧居は田山花袋が少年期を過ごした家で、江戸時代の小規模な武家屋敷の一つです。

 

(14)旧秋元別邸

旧秋元別邸

最後の館林藩主秋元家が別邸として所有していた建物で、明治末期から大正初期に建てられたと考えられています。主屋は木造平屋建て・瓦葺きの入母屋造り、離れ座敷の洋館は昭和初期に東京の本邸から移築されたものです。和風建築と洋館の調和が美しい和洋折衷の建物で、近代和風建築の様式を知る代表的な建物です。

 

まちなか散策ガイド

市民活動団体「まちづくりを考える研究グループ」の1つで、道路と街並みを考えるグループ「ロマンロード」が製作した、館林の魅力にふれてもらうための散策ガイドです。

 

まちなか散策ガイド

 

まちなか散策ガイド(1MB)

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