田山花袋について
更新日:2023年1月23日
ふるさと 館林と花袋
田山花袋は、明治4年12月13日館林に生まれました。
本名は録弥と言います。田山家は、旧館林藩主秋元家に仕え、江戸時代に山形から館林に移り住みました。
花袋は一家して上京する明治19年まで、館林で過ごしました。
館林東学校に学ぶかたわら、旧館林藩儒学者吉田陋軒に漢学を学び、この頃から漢詩文を雑誌に投稿するなど、文学に目覚めていきます。
ふるさと館林での生活は『ふる郷』『小さな鳩』『幼なき頃のスケッチ』などに描かれています。
文学者・花袋 田山花袋と文学
上京した花袋は、明治24年、尾崎紅葉を訪れ、小説家を志します。
英語を学びながら西欧文学に触れた花袋は新しい文学を試み、明治40年『蒲団』の発表により、日本の自然主義の確立者として、近代文学界に大きな足跡を残しました。
続いて『生』『妻』『縁』の三部作や、『田舎教師』を発表。
晩年は歴史小説や、心境小説に取り組み、その一生を文学ひとすじに歩みました。
田山花袋略歴
- 明治4年(1871年)12月13日、田山
十郎・てつの次男として生まれる。
- 明治10年(1877年)5歳父
十郎西南戦争にて戦死。館林東学校に入学。
- 明治16年(1883年)11歳この頃から吉田陋軒に漢学を学びはじめる。
- 明治19年(1886年)14歳一家して上京。
- 明治22年(1889年)17歳この頃、松浦辰男に和歌を学ぶ。
- 明治24年(1891年)19歳尾崎紅葉を訪ねる。小説「瓜畑」を発表。
- 明治27年(1894年)22歳和歌を「文学界」に投稿。
- 明治29年(1896年)24歳この頃、島崎藤村・国木田独歩に出会う。
- 明治32年(1899年)27歳太田玉茗の妹りさと結婚。博文館に入社。
- 明治35年(1902年)30歳『重右衛門の最後』を発表。
- 明治37年(1904年)32歳日露戦争第二写真班員として従軍。
- 明治40年(1907年)35歳『蒲団』を発表し、自然主義文学の代表となる。
- 明治41年(1908年)36歳『生』を発表。
- 明治42年(1909年)37歳『妻』『田舎教師』を発表。
- 明治43年(1910年)38歳『縁』を発表。
- 明治45年(1912年)40歳博文館を退社。
- 大正5年(1916年)44歳『時は過ぎゆく』を発表。
- 大正6年(1917年)45歳『一兵卒の銃殺』『東京の三十年』を発表。
- 大正13年(1924年)52歳『源義朝』を発表。
- 昭和5年(1930年)58歳5月13日没、東京多磨墓地に葬られる。
(年齢は、明治5年暦法改正を考慮し満年齢で換算)