生祠「秋元宮」・旧秋元別邸
更新日:2021年3月24日
ここにまつられている秋元志朝(あきもとゆきとも)は、弘化2年(1845)、山形から館林に「転勤」してきた館林城の殿様です。
その当時、赤生田村民は、水害や干害で苦しんでいたので、年貢の取り立て方を変えるなどして村人のための政治を行いました。また、災害が発生した時には、救援活動もしてくれました。
そこで、村民は、お礼の気持ちをこめて、志朝を生祠秋元宮としておまつりしました。昭和48年4月、市の史跡に指定。
これが秋元宮。小さいと思う人もいると思います。
でも貧しい農民達が殿様のために
お金を出し合ってつくったという事実が大事なのです。秋元宮のある永明寺の本堂は、
普通のお寺のイメージからは考えつかないような姿をしています。
となりには保育園がありますが、その名は「ルンビニ保育園」。
どんな意味があるのか?私にとっては不思議空間です。
永明寺には伝説の井戸があります。
どんなに雨の降らない年でも決してかれることのない井戸だとか。
ちなみにこの井戸をどのようにつくったのかについても
不思議な伝説が残されています。
くわしくは「館林双書」16館林の伝説を。館林では、この建物のことを「秋元様」と呼びます。
館林城主秋元氏が建てた「別荘」です。
「旧秋元別邸」が正しい呼び名ですが、
「秋元様」と親しみを込めて現在でも呼んでいます。
館林市民にとって館林城最後の城主秋元氏は大恩人なのです。
旧秋元別邸では、春には「ショウブ祭り」、秋には「彼岸花祭り」を行います。館林の観光イベントとして、毎年行われています。とてもきれいですよ。